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 【夜兎】

文:くお 絵:戸沙

 

 

「私定春の散歩行かなきゃいけないネ。後で食べるアル」
神楽は銀時と新八に顔を合わせないまま言い残し、定春を連れて颯爽と出ていってしまった。リビングに残された二人は顔を見合わせ深い溜め息をつく。

「あ~あ…アイツが居候してからずっとこれだよ…新八君どうにかしてよ」

「どうにかできるならとっくにしてますよ…。仲直りしたはずなんけどなあ」

そう。ついこの間神楽と神楽の兄、神威は仲直りをしたはずなのだ。銀時が仲介し元に戻ったはず、なのだ。しかし神威が春雨を抜けこの万事屋に居候し始めてから二人は話すことはおろか、顔を合わすことすらしていない。
そんな訳で万事屋には微妙な空気がずっと停滞しているのだ。銀時と新八も居にくい事この上なかった。

「明らかに神楽ちゃんが一方的に避けてますよね。神威さんは至って普通ですし」

先程のように神威が住み着いてから四人で食事を一度もとったことがない。神楽は毎回明らかに不自然な理由をつけて出ていってしまうのだ。そもそも大食いの神楽が食事を後回しにする事自体あり得ない。

「時間が解決してくれればいいんだけどな」
銀時はそう呟いて箸を手に取り、白米を口に入れた。いつも隣に居た赤色のそれはやはり居ない。

沈黙が流れたまま箸を進めていると、途端にふすまが開かれる。神威だ。

「おはようございます神威さん」

「相変わらずおせーなぁ。生活リズムはきちんとしないと駄目ですよ~」

神威は万事屋に居ても自由だった。起きたい時間に起き、寝たい時に寝る。「何かムカついたから」とテーブルを真っ二つにされた時はさすがに叱ったが。
しかし普段は部屋でぼうっと呆けているだけでたまに外をふらついてるらしいが、やはり全く掴めないよくわからない奴だった。銀時からすれば何をしでかすか分からないので部屋に居てくれるのが一番安心するという。

「あー、うん。おはよう」
神威はぎこちなく挨拶を交わす。春雨での暮らし上こういった家族じみた事が慣れていないのだ。まだ半開きの目をこすりながらソファーにぼすんと座った。

「………アイツは」
少し間が空いて神威が問うた。勿論それは妹の事である。

「定春の散歩しに行ったよ」
銀時は漬物を頬張りながら平然と言った。毎回神威の方はこうやって神楽の事を聞いてくる。
やはりこの二人はただのすれ違いだなと銀時は思った。全く面倒臭い二人だ。

「…そう。いただきます」
神威はご丁寧に両手を合わせ箸を取る。

微妙な空気が流れる。もう何度も繰り返してきた事だが慣れない。神威がアイツの分食べていい、と聞いてきたので銀時は駄目だと言い、会話はそれきりだった。


 *


午前十時。朝食か昼食なのか曖昧な時間を謀って神楽は誰にも気づかれないよう気配を消して万事屋に帰ってきた。
抜き足差し足で戸を引いて玄関に入る。愛用の番傘は壁にかけ、人の気配はしなかった。

「おい神楽」
神楽の背筋がびくんと跳ねる。恐る恐る見上げた銀時の表情は予想通りのしかめっ面で、怒っていた。銀時が何を言うつもりなのかも分かっていた。神楽はすぐに視線を落とした。

「いい加減下手な嘘つくのやめろ。飯は皆で食うもんだろ」
飯は皆で一緒にと、母親もそう言っていた。自分が今している事は神威だけではなく銀時と新八にも迷惑をかけていると分かっている。
分かっている。だけど。

「……何が気に入らないんだ」
銀時はため息をついてから神楽と目線を合わせるように中腰になった。しかし神楽は銀時を見ようとせず、下唇を噛むだけだった。

「………気に入らないとかじゃ、そういうのじゃ、ないアル。そうのじゃなくて……」
震えていて泣きそうな声音だった。銀時はあたふたと慌てて咄嗟に神楽の頭をわしわしと撫でた。それに神楽は驚き逆に涙が溢れてきてしまった。しかし銀時に見せたくなかったので顔を両手で覆った。

「アイツを目の前にすると、どうすればいいか分からないアル、嫌なことしか言えない気がして、怒らせそうで、怖いアル」
ただでさえ何年も仲違いしていたというのにこの口がまた余計なことを言ってしまったら。そして余計に離れて行ってしまったら。神楽はそれを恐れていた。
そしてただ単にどう顔を合わせていいか分からなかった。

銀時はやっぱりなと泣いているであろう神楽の頭を今度は優しく撫でた。
突如ガタ、とリビングの方に物音がした。神楽は瞬時にそれに気付き慌てて万事屋から出て行ってしまった。

「神楽!お前、傘―」
銀時が傘を手に取り慌てて追いかけたが、既に神楽はどこかへ消えてしまっていた。
いくら神楽が日の光に慣れていようとも夜兎は夜兎。しかも今は夏でこの炎天下だ。下手すれば命を落としかねない。鳳仙の最期が途端にフラッシュバックする。

銀時はズカズカと荒い歩調でリビングへ向かう。そこに居たのはやはり神威だった。神威はぼうっと窓から景色を眺めていた。
神威は銀時を見るなりにこりと胡散臭い笑みを向けた。

「全くここは本当に平和だね。何かしでかしてやろうって気も失せるよ。日差しは強いしさ」
暇だなあとソファーに神威は寝そべった。

「さっきの聞こえてたんだろ。泣いてたぞ」

「それで俺にどうしろって言うのさ」
相変わらず神威は笑っていた。本当に食えない奴だと銀時は心の中で舌打ちした。

「迎え行ってやってくれよ。あの馬鹿娘傘置いて身なり一つで出て行きやがった。………お前なら分かるだろ」
この日差しがいかに夜兎にとって危険なものか。肉親であり同族である神威は人間である銀時以上にそれが分かるはずだ。そして今神楽を迎えに行くのは自分ではなく兄が行かなくてはならないと、行かせなければならないと、銀時は強く想った。

「迎えって、どこに行ったかも分からないのに?日差しに慣れてない俺が探すの?」
全く兄妹揃ってひねくれた性格してやがる。どうしてこうも素直になれないのだ。銀時は頭をがしがしとかいた。
ズカズカと銀時は神威に近寄った。神威の表情は変わらない。

「お前兄貴だろうが。俺と新八これから仕事あるしお前しかいないんだよ。いいか。頼んだぞ。お前しかいないんだからな!」
銀時は神楽の番傘を神威に無理矢理押し付け、神威が物を言う前に万事屋から姿を消した。勿論仕事なんて真っ平の嘘だ。

銀時が去ってから神威の笑みは消え失せ、ぼうっと手渡された番傘を見つめる。この番傘は小さくて軽かった。

どうせ己が行ってもアイツは従わない。けど、もし、自分が行かないことで、本当に死んでしまったら。
モヤモヤがまた頭の中をぐるぐる回る。アイツの事を考えるといつもこうだ、と神威は決まりが悪そうに顔をしかめた。

ふと空いた窓から青い雲一つとない空を見る。きっとこの万事屋の真上に太陽があるのだろう。知ってはいたが地球はとても日差しが強く、暑かった。夜兎族にとっては住みにくい事この上ない場所だった。
けれど神楽はここを止まり木としこれからもそれを望んでいる。神楽は惹かれ、そして救われたから。ここに住む人達に。
勢いと成り行きでここに来てしまったけれど、平和すぎるこの歌舞伎町は神威には未だ慣れなかった。寧ろ自分の居場所はここではないのではないか、己にはあまりにもここは眩しすぎると、時たま思ってしまう。

そんな眩しい世界で神楽は必死に生きていた。数年前のあの頃とは思えない程それは成長していた。そして今はそれに侵されようとしている。自分が原因で。
神威は番傘を握りしめた。――自分だって分かっているのだ。本当は。

「………分かったよ」

神威は万事屋を後にした。やはり外は暑かった。


 *


「しまったアル…私としたことが不覚ネ………う~、頭痛い」

神楽は今建物との狭く薄暗い間にぽつんと座り込んでいた。こんなに日差しが強くては少し日に当たっただけでも眩暈を誘った。
番傘の存在に気付いたのはその眩暈がしてからで、自力で万事屋へ戻るのはもう無理だった。日が暮れるのを待つしかないと神楽は身を潜めた。といっても今はまだ昼前。この日が長い夏日に日が暮れるまで一体何時間待てばいいのか。
銀時は今頃探し回ってるかもしれない。早く来てほしいと思う裏腹に、少し気まずかった。

先程銀時に吐露したことは全て本当のことだ。ただでさえ己と神威には深い溝があるというのに、余計にそれを深くしてしまったら。そして何より兄が読めなかった。アイツは何を思ってここに住み着いたのか。まさか一緒に暮らすだなんて思いもしなかった。兄は今、何を考えている。

神楽はきゅっと小さく三角座りをする。呼吸が荒くなり、尋常じゃない程の汗が出る。暑い。苦しい。
ああでも、やはり一人は寂しい。神楽はこの孤独感が一番怖いし、何より嫌いだ。あの頃を思い出してしまう。兄が出て行き母が死に、父が帰って来なくなったあの頃を。あの頃はどうしようもなく一人で、誰も他には居なかった。できればあの感覚はもう思い出したくなかった。
このまま一人ぼっちで誰にも見つけてもらえず、己はこの日の光によって死んでしまうのだろうか。ぞわぞわと背筋が凍りつき先程とは違う冷や汗がどっと出た。万事屋に帰っても気まずいだけだ。でも、このまま死んでしまうのは、嫌だ。

「………だれ、か」
ポツリと呟いた。勿論誰も神楽の存在に気付きはしない。神楽はいよいよ目に涙が溜まりだした。本当に、今は一人ぼっちだ。さみしい、さみしい。くるしい。
誰も見てはいないけれど、いたたまれなくて顔をうずくませた。けれど涙は止まらなかった。嗚咽もでてきて余計に苦しくなった。

ああ、どうして兄が関わるとこんなに上手くいかないんだろう。いつもこうやってめそめそ泣いてばかりだと、神楽は心の中で己を嘲笑った。
どうして自分はこんなにも不器用なのだろう。かつて分かり合えていたはずの人と、どうしてこんなにも、手が届かないのだろう。どうして。

そもそもそう思っているのは自分だけで、神威は己の事など何も思っていないのかもしれない。寧ろ目障りで鬱陶しいのかもしれない。今頃どうせ万事屋で呆けているのだろう。暇だ退屈だと文句を言いながら。


「………何やってんの、お前」

高くも低くもない中性的な声音が耳に響き、神楽は目を見開いた。恐る恐る顔を上げそれを見上げる。神威だった。

「…なんで、おまえが」
泣いている事など忘れていた。自分は今どんな酷い顔をしているのだろう。でももうどうでもよかった。
――どうして神威が、ここにいる?

「傘も持たずにこの炎天下の中外に出るなんて、本当に馬鹿だね」
神威は笑っておらず、無表情のままこちらを見ていた。それが余計に神楽を揺さぶった。今目の前にいる神威は、いつもと違った。

神楽はふいとそっぽを向いた。ここで立ち上がってどこかへ行けれたらいいのだけど、今そうすればこの体調不良によって絶対倒れてしまう自信がある。だから神楽は神威が立ち去るのをじっと待った。早くあの時のように行けば良いのに。そう思った。
しかし神威は一向に動こうとしない。何故だ。やはりいつもと様子が違った。

「…行かないアルか」
目を合わさず問うた。神威と目を合わせる事自体が怖かった。というよりも今言葉を交わしている事自体神楽にとってはあり得ないことだった。

「……立てないの」

「自業自得なのは分かってるネ」

「うん、馬鹿だね」

「馬鹿馬鹿うっさいアル!早く行くヨロシ!」
神楽はようやく神威を見上げ、そして睨んだ。相変わらず神威は無表情のままで、神楽をじっと見つめていた。その深い青に吸い込まれそうだった。

すると途端に神威は神楽の目の前に立ちはだかり、くるりと背を向けしゃがんだ。神楽はそれを唖然としたままただ目で追うだけだった。何をするかと思えば、手を後ろに回しひらひら動かした。

「な、何のつもりアル」
――まさか。
神楽は目を疑った。だって、これは。あの頃の。

「立てないんだろ、ほら」
神威はこちらを見なかった。

「え、え」
神楽はしどろもどろしながら朦朧とする頭をせわしなく揺らした。これは所謂、おんぶ、という事だ。信じられない。目の前にいるのは本当に神威なのだろうか。

「早くしてよ。このまま野垂れ死にしたいの」
ぶっきらぼうに言い放った。事実神楽は今かなり危ない状態だ。それにあの神威がこんな事するなんてもう無いかもしれない。今しかないかもしれない。神楽は恐る恐る神威の肩を掴んだ。何年振りかに触れたそれは、暖かかった。
そのまま神威に身体を預け、首元に腕を回した。そしてふわっと体が浮き上がった。ああ、なんて事だ。わたしは今、神威におぶされている。神楽は未だ信じられないと言うかのように目は見開いたままだった。

「………ど、どういうつもりネ」

「お侍さんが探してこいってうるさいからさ。夜兎の癖に傘忘れるとか本当あり得ないよ」

「…………」
何も言い返すことができず、沈黙が流れた。気まずい、気まずすぎる。神楽は何か話題をと考えるが見当もつかなかった。この二人はもう何年も言葉をまともに交わしていないから。

「…………かっるいなあ、昔のまんまじゃん。ちゃんと食べてんの」

「…貧乏だからナ。どうせお前は春雨で美味しいものばっかり食べてきたんダロ?」

「確かに食には困らなかったけどそこまで美味しくはなかったよ。地球のご飯が一番好きだな」

「万事屋はどんな時も皆で分け合って食べるネ。独り占めしたら駄目だからナ」

「分かってるよ。お前の朝ご飯も食べずにおいといたからさ」

「…そうアルか」

神威は器用なことに左手で神楽を支え、そして右手で傘をさしていた。しかし全く不安定でなく、それはしっかりと支えていて、神楽は何故か安心した。
未だ鼓動が大きく高鳴ってはいるが、神楽は段々この状況に慣れてきた。今の自分なら、落ち着いて兄と話せる。兄は、わたしの話を聞いてくれる。そんな気がした。

ゆさゆさと揺さぶられているこの感覚がとても懐かしくて心地よかった。――ああ、この感覚を、わたしは知っている。

「………昔みたいアル」
思わず口に出てしまった。けれど神楽はもう迷わなかった。

「覚えてるアルか。私達が故郷に居た頃、よくこうやって神威が私をおんぶしてたネ」

「………ああ、覚えてるよ。あの時はお前、太陽見たいとか言って傘持たず一人で行って、さっきみたいに泣いてた」

そう。珍しくその日は晴れていて、相容れないものだとは分かってはいたが、幼い神楽は太陽を美しいと思った。けれどやはり体質というのはどうしようもなく、物陰に隠れて泣いていた神楽を神威は見つけ出した。
神楽は、兄はいつもわたしをすぐ見つけるなと、ぼんやりとした頭で思った。それは偶然なのだろうか。いつも神楽を見つけるのは神威だった。そして今も。

「………おまえが昔の話をするなんてナ」
神威は覚えていたのだ。あの頃の、幼き神楽と居た時間を。神威の記憶に確かに残っていた。
ああ、私は、忘れられていなかった。それはわたしだけの記憶ではなかった。神楽は嬉しくて嬉しくて、涙交じりの声になってしまった。

「うん、自分でも、思わなかった」

神威の毛色は相変わらず綺麗だった。神楽より少し赤が混じっていて、亡き母にとてもよく似ている。今まで遠かったこの色が今はこんなにも近くに居る。他者には居ない、この色が。
今この状況を、神威を、神楽は酷く愛しいと思った。今まで願っていただけのそれが、今はここにあって、とても安心する。ああ、なんて、愛しいのだろう。神楽は神威の首元に絡めた両腕にきゅっと力を込めた。

「…………見つけてくれて、ありがとネ」

神威が何かを言う前に、神楽は深い眠りについてしまった。
妹に礼を言われるのはいつ振りだろうか。神威はまだまだ餓鬼だなあと、呆れながらもその目は優しかった。


 *


「おはようございますヨー」
リビングには既に銀時と新八が居た。神楽は寝癖がついた髪をそのままにして銀時の隣に座った。

「定春の散歩はもういいのか?」
何の気なしに銀時は神楽に問う。神楽はそっぽを向いて後で行くネ、と呟いた。
新八が朝食をテーブルに並べ始めた。もちろん、四人分。

そしてようやく神威が起きてきた。神楽と同じような寝癖をつけてそれの向かい側に座った。

「お、おはようアル」

「…おはよう」

こうして挨拶を交わすのもいかに何年振りか。神楽はくすぐったいような気持ちにかられた。素直に、嬉しかった。銀時と新八は二人のそれを見るなり顔を見合わせ微笑んだ。
初めて四人揃っての食事だ。きっと全員で食べるそれはとても美味しいのだろう。神楽の向かい側に神威が居るため、やはり神楽は少し気恥ずかしかったけれど、今はとても機嫌が良かった。何故なら神威とまたこうして一緒に食事をとり合えるから。

神楽は両手をぱちんと合わせ、大きく息を吸い込んだ。ああ、なんて清々しい朝なのだろう。なんてキラキラしているのだろう。

「いただきます」

四人で食べた朝食は、やはり美味しかった。








 

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